おにぎり、がぶり
不正乗車の話をしたので、電車内での、その他のマナーのことをちょっと考えてみた。
近頃、車内でアナウンスされるのが、
「リュックなどを背負っている方は、手に持つか、網棚をご利用ください」
というもの。
当初は、よく分からなかった。網棚はともかく、手に持ったところで、リュックの分のスペースが無くなるわけでもないのに、と。しかし先日、ようやく理解した。
早朝ではあるが、それなりに混んでいる車内。そこへ、普段は利用しない学生たちが乗り込んで来る。リュックを背負った学生たちが、はしゃぐ。すると、背負ったリュックが揺れて、周りの人たちに当たっていくではないか。手に持っていれば、たしかに他人にぶつけるようなことは無い。自分はこれまで、リュックを背負っていても、直立し、ほとんど身動きしない人たちしか見ていなかったのだ。あんなに揺れて、周りの人にぶつかって、しかも学生たちはそれが分かっていない。なるほど、注意したくなるのも分かる。
足を広げて座るな。
四人掛けの椅子の真ん中で、両足を大きく広げて座る人がいる。二人分、占拠している形になるので、両端と合わせて三人しか座っていない。車内が閑散としている時間帯ならどう座ろうが自由だろうが、大勢の客が乗り込んでいる状態で座れる人を減らす行為は、せっかく椅子を設けた電車からすれば迷惑に感じるだろう。思いやりのなさは、こういう所で発露される。
以前に不思議なおじいさんを見かけた。四人掛けの椅子に四人座っている状態のところへ、
「すみませんが、ちょっと寄ってもらって。座らせてもらってもいいですか、すみません」
譲ってくれ、というのはさすがに気が引けるので、そういう言い方をしたのだろうか。ではどうぞと誰かが席を離れても良かったのだろうが、座った人とて疲れていたり、身体に障害がある場合もあるので、一概には責められまい。四人がそれぞれ左右に寄ったので、狭いながら五人が座った状態になった。おじいさんも左右の人たちに、何度もありがとう、ありがとうと頭を下げていた。
ここまでは良い。
しかし次の駅に到着し、おじいさんの左右の人たちが降車した途端、状況が一変した。
おじいさんは両足を広げ、足元に置いていた荷物を右手に置く。席が空いたと思って近づいていた女性は、諦めて後ずさりした。最初の内気な様子の好々爺は演技だったのだろうか、この横柄な頑固爺が本性なのだろうか。その様子に眉を顰めたのは、私だけではあるまい。
化粧や酒が嫌われるのは、『におい』が強いからだろう。
『におい』は、その香りが他人からも好まれるものであれば『匂い』と表し、他人から嫌われるものであれば『臭い』と表される。人によりけりなので、ここではひらがな表記で『におい』としておく。
化粧、特に香水は、その香りを好む人には心地よいものであるが、嫌うものには気分が悪くなる。『鼻をつまむ』という表現は直接なもので、においを遮断するには、においを感じる鼻を閉ざすしかない。
人によりけり、で思い出したことがあるので、少しだけ話が逸れるが、お付き合いいただけると有難い。
私はミントのにおいが嫌いだった。子供の頃、友達と遊んでいると祖母がみんなに飴を配ってくれることがあったが、はっか(薄荷。ミントの和名)の飴だけはどうしても苦手で、近づいてくるだけで気分が悪くなった。
チョコミントも、あの強烈なにおいが受け入れられず、こんなものを好む人がいるなんて信じられないという想いがあった。
大人になり、バー(Bar)に通っていた頃、メニューに『モッキンバード(Mockingbird)』というカクテルを見つけた。テキーラをベースに、ミントリキュール、レモンかライムのジュースを使うカクテルである。メニューには、基本となる酒(ベース)と、その他に使われる素材が載っているのが普通だが、何故かまったく読まずに注文してしまった。そして、差し出されたカクテルを目の前にして、唖然とした。どう見ても、ミントが使われている。嫌だなぁと思いつつ、キャンセルという訳にもいかないので、我慢して飲んだ。一気に飲み干した。そして、不思議な感覚に捉われた。あれだけ嫌っていたはずのミントの香りが、なんとも心地よく、爽やかで、いきなり大草原に放り出されたような心の解放感は、今でも忘れられない。
同じにおいでも、好きな人には好き、嫌いな人には嫌い。そして、それは感覚や環境にもよるので「このにおいが好きだなんて信じられない」、「このにおいが嫌いだなんて信じられない」というのは、主観的なものでしかない。変容することもある。
ファストフードはNGだろうか。
これは早い時間帯よりも、夜遅い電車内で見かける光景になる。鞄などから取り出した、ハンバーガーやフライドポテトを食べる人がいる。
これについては、「嫌だ」と感じる人が多いようだ。油のにおいは拡散しやすい。さほど広くない車内に、広まってしまう。臭いと感じる人もいれば、食べることは構わないが鼻に突くので気になるという人もいる。あまりお勧めできない。
サンドウィッチやパンなどはにおいが広がることもなく、それほど嫌がられることはないのかも知れない。ペットボトルで水やお茶を飲んだ場合でも同様である。
尤も、においがほとんど感じられなくても車内でのいかなる飲食も許せない、という人もいるので場合によりけりである。
先日、おにぎりを食べてる学生を見た。野球のユニフォーム姿で、握り拳三つ分ほどの巨大なおにぎりを、頬張る。同じくユニフォーム姿の学生との会話。
「おいおい。そんなの、こんなところで食うなよ」
「腹が減ってんだから、しょうがないだろ」
「でも家に帰ったら、また飯を食うんだろ」
「当たり前だろ」
我慢できなくなるほど、腹ペコになるまで野球に励んでいるのか。おにぎりを貪る姿も、友達との笑顔の会話も、青春の一時に全身全霊を掛け、楽しんでいるようだ。
「頑張ってるなあ」
微笑ましく感じた。