いろいろなことに興味があり過ぎる問題点について

いろいろなことを興味の赴くままに

キセル乗車

「駅に着いたら電車が来たので、慌てて飛び乗ったんですよ。だから切符が買えなかったんで」

「どこから乗りました?」

 「名古屋です」

 『キセル乗車』というのを目の当たりにした瞬間だった。

 

 公的には『不正乗車』という表現が一般的だが、『キセル乗車』という言葉もまだ死語ではないようだ。本来払うべき運賃を誤魔化す行為であるが、なぜ『キセル』というのか。

 そもそも、『キセル』とは何か。

 西洋でいう、パイプのことである。漢字では煙管と書く。なぜ『キセル』と呼ぶのかにはいろいろな説があるが、異国の言葉のようだ。

 『羅宇』と呼ばれる木製の管の一方に、金属製の火皿を備える。『雁首』と呼ばれる部分で、この火皿に刻みタバコを乗せて、火を付ける。管の反対側にも金属を付け、この『吸い口』でタバコの煙を吸う。

 タバコ(煙草)といえば現在では紙巻煙草が主流になって、他のタバコが顧みられなくなったようだが、好きな人は西洋パイプを吹かし、葉巻も愛用され、キセルも好まれているらしい。

 私は嫌煙家ではあるが、落語でよく出てくるせいか、キセルを手にする姿に少なからず憧れがある。

 漫画やアニメが好きな人なら、『銀魂』(集英社空知英秋)で高杉が手にしているもの、といえば分かってもらえるかも知れない。

 

 さて、不正乗車がなぜ『キセル乗車』と呼ばれるかというと、「両端で金(属)を使う」から。

 A駅で電車に乗り、D駅まで向かう。この時、A駅では隣のB駅までの切符を買って乗車する。D駅で降りるときに、D駅のひとつ前の「C駅で乗った」と嘘を吐いて降車する。本来ならA駅からD駅までの運賃を払わなければならないところを、A駅からB駅まで、C駅からD駅までの運賃しか払わないというものである。

 当然、詐欺行為である。

 乗車から降車までの区間を無視して、両端で発生する運賃しか払わない。

 つまり、「両端でだけ、お金を使う」詐欺行為と、「両端で、金属を使う」キセルとの、掛け言葉である。

 

 この『キセル乗車』、そんなにうまく行くのかなと思うかも知れないが、鉄道業界では常に頭を悩ませている問題でもあるらしい。

 先ほどの例でいえば、「C駅で乗った」という嘘が何故まかり通るのか。C駅が無人駅、もしくは普通停車駅などで着駅本数が限られている場合で、自動改札口が設置されていない場合に起こりやすい。

 私もかつて、普通電車しか止まらない駅の近くに住んでいたことがあるので、経験がある。駅に着いたらすでに電車が来ている。これを逃したら、次の電車が来るまで三十分も待たなくてはいけない。慌てて切符を買おうと財布を取り出しながら、駅員さんの元に駆け寄ると、

「いいから、すぐに乗って。切符は中で買えばいいから」

 と促され、息を荒げながら電車へ飛び込み、扉が閉じて発車する電車の中で、近づいて来た車掌さんに頼んで切符を買ったという経験は、何度もあった。

 あるいは無人駅で、「ここに切符を入れてください」と書かれた金属製の筒や木製の箱が置かれているのも、何度も見たことがある。

 無人駅で乗降する際に、運転手もしくは車掌が駅員の代わりに定期券を確認したり切符を受け取ったりすることもあるが、停車時間が短かったり、先ほどのような筒や箱が置かれている駅などでは、客が降りるとすぐに扉を閉めて発車してしまうこともある。

 これを悪用する連中がいる。

 つまり、無人駅で乗って無人駅で降りる。あるいは、乗降客が少ない普通停車駅、駅員が常駐していないような駅で乗って、「駅員さんがいなかったので」「電車が来たので慌てて乗った」と言い訳して、あたかもその駅で乗ったかのように装うという手口である。

 定期券詐欺というのもある。A駅でB駅までの切符を買って乗車する。D駅から、その先にあるE駅までの定期券を持っているので、D駅では定期券で降車する。こうすれば、わずかな運賃で『キセル乗車』が出来るという手口である。

 しつこいようだが、詐欺行為である。やってはいけない。

 ちなみに、不正乗車のことを薩摩守(さつまのかみ)ともいう。これは狂言の『薩摩守』に由来する。

 旅をしていた一文無しの僧侶が、茶屋で川の渡しをただで乗る方法を教えてもらう。渡し守が謎かけを好むので、「平家の公達」と問いかければ「その心は?」と聞いてくるだろうから「薩摩守忠度(ただのり)」と答えれば、ただで乗せてくれるだろうというもの。僧侶は忠度という名前を忘れて失敗するというオチになっているが、名前の『忠度』と無料で乗る『ただ乗り』の掛け言葉である。

 ちなみに平忠度は実在の人物で、平清盛の異母弟にあたり、37歳の時に正四位下薩摩守に任じられており、優れた歌人としても知られている。

 

 冒頭、降車駅で駅員さんに「慌てて飛び乗った」と言った人を、すぐに「『キセル乗車』だな」と判った理由は、非常に単純である。名鉄名古屋鉄道)の名古屋駅を知っていれば、これほど「すぐに嘘がバレる言い訳」もないだろう。

 名鉄名古屋駅は自動券売機、自動改札口を備えており、駅員さんが「いいから乗って」と言えるような小さな駅では決して無い。地元民としては、隣の金山駅のほうがはるかに総合ターミナル駅として機能しているが、それはさておき、改札口からホームまでもゆっくり歩けば1分近くかかる。

 さらに、名古屋駅は地下に造られている。「電車が駅に入って来たのを見たので」飛び乗るような場所ではない。電光掲示板はあるが、だからと言って駅員を振り切って飛び乗ることが出来るような環境では、決してない。おそらく、そのキセル客は名古屋駅を通過したことがあっても、乗降したことなど一度もないのだろう。駅名を聞かれたとき、咄嗟に思い浮かんで口にしてしまったに違いない。

 その後、駅員さんから追及と請求を受けたのだろうと思うが、早く帰宅したかったので、彼がどうなったのかは知らないし、興味もない。

 すべての無人駅に自動券売機や自動改札口を取り入れれば、こんな問題も起こらないという意見もある。その場合でも電気代はかかるし、トラブルが起きたときに対処する人が必要になる。駅員が常駐していない普通停車駅の場合、隣りや近くの大きな駅の駅長や駅員が代行していると聞いたことがあるが、その人たちにすべてを負わせるのは可哀そうだと思う。

 運賃の決済をスマートフォンなどを使って行うことで、確実に運賃を回収する手段を試みている国や地域も増えているようだが、システムの導入には莫大なコストがかかるので、実践に踏み切れないという話も耳にしたことがある。

 そもそも、詐欺行為が横行する、モラルの低さを嘆くべきではないのか。

 電車やタクシー、バスや飛行機など、とても便利な乗り物が増えている。先進国では存在していることが当たり前と感じるようになっているが、今一度、その有難みを再認識し、感謝の気持ちを持ち直すべきではないのか。

 話が大袈裟になってしまった。今日はこの辺りで締めくくろう。