いろいろなことに興味があり過ぎる問題点について

いろいろなことを興味の赴くままに

そのまんまペンネーム

「そのまんまでいいだろ」

 師匠のその一言で、本名を東国原英夫という人物の芸名は、『そのまんま東』となったのである。

  東国原英夫氏といえば、元宮崎県知事であり、政治コメンテイターとしてさまざまなメディアにも顔を出しているが、かつては芸人だった。師匠はビートたけし(以降、芸名に関しては「氏」は省く。「さん」、「様」などの敬称、あるいは「くん」などが芸名になっている場合もあることからの混同を避けるため)、本名は北野武。彼も芸人として長く活躍し、今では映画監督としてその名は世界に轟いている。そのまんま東は、ビートたけしの一番弟子でもある。

 東国原という、非常に珍しい姓であるためか、当初は『東英夫』と名乗っていた。ビートたけしの弟子になっても、彼は師匠から「東」と呼ばれていた。

 ビートたけしといえば、弟子からは「殿」と呼ばれることも有名だが、弟子たちに奇妙な芸名を付けることでも知られている。ガナルカナルたか、つまみ枝豆なべやかん玉袋筋太郎など。この辺り、子供たちに珍奇な幼名を与えた織田信長に通じるところがあるかも知れない。

 それはさておき、東英夫が芸名を変えたいと言ったときの回答が、冒頭のものである。そのため、「そのまんま」と「東」を足したのだが、実は勘違いだった。

 ビートたけしは、東国原という奇妙な姓で充分にインパクトがあるため、

「(東というありきたりのものじゃなく、珍しいのだから)そのまんま(『東国原』)でいいだろ」

 と言ったつもりだったのである。

 

 漫画『ノラガミ』の作者は『あだちとか』というペンネームを使っている。二人組の女性漫画家で、名前は伏せているが、キャラクターを描く「安達」と背景を描く「渡嘉敷」のユニットなので、併せて「あだちとか」としている……のでは、ない。

 実は彼女たち、漫画『Q.E.D.iff -証明終了』や『C.M.B. 森羅博物館の事件目録』で知られる漫画家・加藤元浩の元でアシスタントをしていた頃がある。いずれデビューする時に備えてペンネームを考えていたが、いわゆる中二病的な複雑怪奇な、持って回ったようなペンネームばかりを模索していたらしい。それを聞いた加藤氏が

あだちとかにしろよ」

 と言って、このペンネームになった。一見、二人の姓を合わせたように思えるが、実はこの「とか」は、「~など」を意味するものだった。ここで加藤氏がおそらく言いたかったのは、

「(珍妙なのとか、分かりづらいものじゃなくて)あだち『とか』(とかしき『とか』、あるいは、さとう『など』のような、シンプルなもの)にしろよ」

 だったのである。たまたま、渡嘉敷の「とか」と被ったのでそのまま流用したのだろうが、もし一人だけだったら、「あだち〇〇」という別のペンネームになっていた可能性はある。

 

 人から言われてペンネームを付けたとされる有名人に、二葉亭四迷がいる。

 明治の小説家で、彼が小説家を目指したとき、当時はまだ小説家は賤業であり、文学に理解の無かった父から、

「くたばって仕舞え(しめえ。しまえの訛り)」

 と怒鳴りつけられたことに由来されている……と、聞かされた人も多いだろう。しかし、これは俗説である。実際には彼が処女作『浮雲』を出したとき、評価がいまいちだった。しかも、坪内逍遥の名を騙って出したものだった。名前を偽ったうえに、酷評という散々な結果だったため、自虐の意味を込めて、先の言葉を自分に投げかけ、ペンネームとしたのである。

 

「おーい、ちょっとこっちに来てくれ」

 と、呼びかける人がいる。名前を呼ばずに、ただ「おーい、これ運んで」、「おーい、あっちだ、あっち」という具合に。

 葛飾北斎といえば江戸時代後期の浮世絵師だが、彼の三女は栄(えい)という。「お栄」と表記されることもあるが、昔の女性は名前の前に「お」を付けて呼ばれることもある。「とら」なら「おとら」、「たえ」なら「おたえ」、「ぎん」なら「おぎん」というように。なので、栄が本名とみるべきだろう。

 彼女は堤等明(南沢等明)と結婚するが離婚し、父の元へ戻ってきた。それからは北斎の助手として働いていた。彼女によれば、北斎は栄を呼ぶときにはいつも「おーい(おうい)」と呼びかけ、名前では呼ばなかったという。そのため、栄は浮世絵師として絵を描き始めたとき、ペンネームを「おうい」=「應為(応為)」としたという。

 葛飾應為は天才女性浮世絵師として、その名を馳せることとなる。

 

 

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