衆怒は犯し難く、専欲は成り難し
『春秋左氏伝』襄公十年にある記述から一部抜粋。
鄭の子孔が戴書(盟約書)を作り、(中略)これに従わない者を処刑しようとした。子産はこれを止め、戴書を焼いて欲しいと言った。
子孔は言う。
「戴書で国を定めるのだ。多勢が怒るから焼くというのでは、多勢が政治を行うことになるではないか。それでは、国を治めるのは難しいぞ」
子産は言う。
「多勢の怒りには逆らいづらく、身勝手な欲望は成功しづらい。
二つの、しづらいことで国を治めるのは危険です。(中略)身勝手は成功しない。多勢に逆らえば災禍を招く。多勢に従ってください」
子孔が戴書を倉門の外で焼くと、多勢はやっと落ち着いた。
襄公十年は西暦の紀元前563年にあたる年で、民主主義という発想は存在せず、身分制度がはっきりしており、一部の為政者が一方的に支配するのが当たり前だと思われていた頃の話と考えれば、「多数に従ってください」というのは実に奇抜な発想。
しかし、民主主義や多数決が重視されるようになった現代ですら、この発想で国を治めている政治家はどれほどいることでしょう。
『史記』にある話。紀元前九世紀半ば、周の厲王が中国大陸を支配していた頃のこと。
厲王は暴虐非道で、贅沢を好み、批判する者がいれば悉く処刑していった。
即位してから三十四年、だんだん激しくなる暴政に、民衆は口を開くのもおそれて、道で誰かと会っても目配せする程度になった。
厲王は言った。
「どうだ、悪口を言う者がいなくなったぞ」
召公は答えた。
「それは口をふさいだだけです。民衆の口をふさぐのは、水をせき止めるよりも危険です。水が堰を破れば、多数の死者が出ます。民衆の口の場合でも、同様です。
だからこそ、水を治める者は水路を開いて水を流し、民衆を治める者は民衆の口を開いて発言させるのです。
(中略)民衆の発言があればこそ、政治の善悪がはっきりするのです。(中略)そういう民衆の口をふさいだところで、一体いつまで続くことでしょう」
厲王は召公の進言を採り上げず、弾圧を進めることさらに三年、ついに怒りが爆発した民衆たちに追われ、都から逃亡することとなる。
民主主義という発想はなくとも、少なくとも為政者は民衆を労わり、思ったことを発言させ、そこから判断して、良いと思われる事柄は採り上げて実行し、悪いと思われる事柄はすぐに見直して止める。これは歴史を紐解くと、名君や名宰相と呼ばれる者たちが備えている発想でもある。
まして、暴政や弾圧、身内びいき、法や道徳を無視しての横行などは論外の発想で、こちらは暴君や暗君と呼ばれる者に見受けられる。
歴史には、現在における教訓、未来への道標とすべき出来事が、実に多く残されているものだ。