いろいろなことに興味があり過ぎる問題点について

いろいろなことを興味の赴くままに

人の本質を見抜く

 孔子といえば、儒教儒学)の祖と知られる人物として有名で、儒教の思想は東アジア一帯に二千年近くもの間、大きな影響を与え続け、孔子はその開祖として崇められた。

 そのためか、孔子といえば高潔で高邁、理想的な聖人君子のように思われがちだが、そこには誤解と思惑とがある。彼の言行録は『論語』としてまとめられているが、冒頭で出てくる「子曰(いわ)く」という言葉は「先生がおっしゃった」という意味で、これは孔子が書いたものではなく、弟子たちが先生の言葉を集めたものであることが分かる。そのためか、同じような内容が二度、三度と出てくることもあるが、大勢の弟子や孫弟子がいたのだから、そこはご愛嬌。『論語』の内容も、儒教の変遷も追々紹介していくつもりなので、ご期待願いたい。

 

 豆知識。孔子の「子」とは男性に対する尊称で、「〇〇さん」とか「〇〇先生」という意味である。兵法書として知られる『孫子』や『呉子』、思想書の『老子』や『荘子』なども、「孫先生」とか「荘先生」という意味で、弟子や周りの人たちがその言葉や思想を集めたものである。なので、孔子にもちゃんと名前がある。

 姓は孔、名は丘、字(あざな)は仲尼。

 昔の中国では、親から与えられる「名」と、成人になってから付ける「あざな」がある。これもいずれ詳しく解説したいが(実は別のブログでかつてやったが)、親や主君から呼ばれるのが「名」で、友達同士で呼び合うのが「あざな」であり、両方を同時に使うことはない。『三国志』で蜀の劉備に仕えたことで有名な「孔明」も、姓は諸葛、名は亮、あざなは孔明なので、主君である劉備は彼を「諸葛亮」あるいは「亮」と呼ぶが、周りの人たちは「諸葛孔明」あるいは「孔明」と呼ぶ。「諸葛亮孔明」という呼び方は決してしない。高名な学者や作家でもこの間違いを犯していることがあるので、少し注意が必要となる。

 

 話が少しずれたが。

 孔子の言行録である『論語』を読み進めていくと、神聖なイメージはがらがらと崩れていく。むしろ世俗的である。ここに誤解がある。孔子は自らを神聖化したことも、偉ぶったこともない。むしろ自らを凡人、あるいは低能、世俗的だと言っている。弟子や後世の人たちが勝手に尊んだのだ。

 読めば読むほどそれは感じられるもので、孔子を神聖化する人(あるいはしたい人)は「これはもののたとえだ」とか「このようなことを言うなどあり得ない。後世に誰が勝手に書いたものだ」などと、弁護や批難する向きもある。理想像とすることで、その後継者を自負する人たちが、自らの価値を高めようとする、あるいは売り込む。これが思惑である。これも面倒なので今回はこれ以上は述べない。

 孔子は「すごく偉い先生です」というイメージがあるけど、実はそうでもないという話をしたいだけなのに、前振りが長くなってしまった。本題へ行こう。

 

 これは『論語』にも『史記』にも載せられていない話であるが、教訓に満ちているので紹介したい。『孔子家語』「始誅」、『荀子』「宥坐」、および『說苑』「指武」にこんな話がある。

 孔子が魯の国に仕え、司寇に就いた。これは刑罰を司る役職。そして就任から七日目に、少正卯を処刑した。少正は役職名だが、どの程度のものか分からない。名前が卯(ぼう)で、姓は不明。彼は名声が高く、人望も厚く、弟子を四千人も抱えており、孔子の弟子たちも顔回以外はみなその講義を聞いたとされる人物だけに、魯の国内では大騒ぎになった。孔子は弟子たちを集め、その理由を語った。

「人には許せない悪というものがある。一に心逆而險、二に行辟而堅、三に言偽而辯、四に記醜而博、五に順非而澤である。少正卯はこの五つを兼ね備えている。さらに徒党を組み、弁舌で人を惑わせ、反乱の兆しもある」

 これが本当に正当な行為であったかどうかは未だに議論が尽きないが、列挙された五悪はなかなかに面白い。ちなみに『孔子家語』を参考にした。他の二書では微妙に表現が異なるが、言いたいことは同じはずである。

 

 ひとつめの「心逆而險」は、心がねじ曲がって、陰険であるということ。

 正しいことが分からない、あるいは間違っているとされる行動をあえて行うようなひねくれ者で、陰険な手口も容赦なく行うような人物を指す。こんな手合いは、誰でも一度は出会ったことがあるだろう。 正しいことを、正しいと知りながら、正しく行うことが出来ないのだ。

 

 ふたつめの「行辟而堅」は、行動に僻みがあり、頑固であるということ。

 行動に偏りがあって、身びいきしたり、逆に不当な嫌がらせをしておいて、そのくせ頑固者である。不公平であることを指摘されても決して態度を改めず、それどころか逆に怒り出すような輩もいる。

 

 みっつめの「言偽而辯」は、偽りの言葉を述べながら、弁が立つこと。

  最初から最後まで嘘ばかりの言葉を並べ立てているはずのに、なぜか理路整然としているかのように聞こえる。扇動者(アジテーター)に多いタイプで、これなどは昨今の政治家によく見かける。文字として書き表せれば矛盾だらけなのに、聞いている限りでは丁寧に説明をしているかのように錯覚させられる。

 

 よっつめの「記醜而博」は、醜悪な事柄を記憶しており、博識である。

  人の長所よりも短所、成功した事例よりも失敗した事例ばかりを克明に覚えており、そのうえ博識であるから、賢い人物と誤解される。誰もが覚えている成功例を無視し、誰もが忘れてしまったような遠い過去の失敗例をいつまでも持ち出して、それを声高に述べる。国会答弁でも時折見かける光景だ。

 

 いつつめの「順非而澤」は、順逆なことを行っているのに、恩沢を与えること。

 良いことではなく悪いことばかりしているのに、多くの人たちに恩恵を与えている。 会社の金や国の税金などを私物化して好き勝手に使うくせに、その一部を分け与えていかにも善人のように見せる。世間にはあまりいないが、多くの被害者がその人物を悪逆と罵るが、利益を享受した一部の人間からは神のように崇められる。

 

 少し注釈を加えて紹介したが、実際に少正卯がこれほど悪い人物だったかどうか分からない。ただ、ここに挙げた五悪には、うかうかしているとその本質を見逃し、騙されやすく、善人と錯覚させるほどの危険性がある。

 

 ここに挙げられる人物の判定は、実は難しい。たとえば盗みを働く者、暴力を振るう者、他人を見下す発言ばかりする者などは、明らかに悪意があるから、悪人と断定しやすい。しかし、後半の三つの条件となると、悪い部分と良い部分とが共存していて、一概に悪人と断定するのに気が引ける人もいるだろう。

 残念なことに、孔子はその対策を述べていない。ただ、その弟子筋にあたる人が、人物の良否を見極める方法を教えてくれている。

 戦国・魏の文侯は治世家として名高いが、彼は孔子の弟子にあたる子夏から教えを受けたので、孔子の孫弟子ともいえる。そして彼の元には非常に優れた人物たちが集まり、国を繁栄させた。李克、呉起、西門豹などは『史記』の愛読者から人気が高い。文侯が李克に「宰相の候補が二人いるが、どちらがふさわしいか」と尋ねられた話が、『說苑』「臣術」にある。

 この話は後日譚も面白いので改めて後日、詳しく紹介したいほどだが、とりあえず「自分が口出しすることではない」と突っぱねた李克に対し、何度も返答を願った文侯に渋々答えたのが、

「無職の時にどんな人と付き合っていたか、金持ちになったら金銭を何に使ったか、出世したときに誰を推挙したか、困ったときに何をしなかったか、貧しいときに何を取らなかったか。この五つで判断してください」

 

 蛇足ながら簡単に解説を加えるなら、

 

①職を失って誰も構ってくれない。そんな時にどんな人物と関わりを持ったか。

 同じような境遇の人たちと傷をなめ合っていたのか。あるいは、やけっぱちになって、いかがわしい連中と付き合ったのか。それとも、相手の素性に関わらず丁重な付き合いをしてくれるような高潔、高尚な人物と関わったか。

 

②金持ちになって、何でも買える、何でも手に入るときに、何に金銭を使ったか。

 ここぞとばかりに高価な宝飾品や絵画を買いあさったのか。あるいは、異性をはべらせて毎晩豪遊したのか。それとも、恵まれない人たちに寄付をしたのか。優れた人材を見つけて投資したのか。

 杉浦重剛が『菅子』の「一年の計は田を耕すこと、十年の計は樹木を植えること、百年の計は人を養うこと」という言葉を引用し、「人材を養成するのは時と金を使うことだ」と、人材養成に資金を投入すべしと諭した話を、ふと思い出した。

 

③出世して、誰を推薦したのか。

 自分の身内や自分が気に入った人物であれば、才能が欠落していようとお構いなしに推薦し、あるいは出世させようとするような者は、願い下げである。むしろ、「あいつは気に食わない」と思いながらも「才能はある」と思って推薦することができるか。

 春秋時代で好きな人物は誰かと聞かれて、私のトップ10位以内に入る人物に祁奚(き・けい)がいる。書物によって異同があるが、彼が引退する際に、君主から後継者に誰がいいのかと聞かれ、

「解弧がいいでしょう」

「解弧はあなたと不仲だった。それでいいのか?」

「あなたは、後継者にふさわしい人物は誰かと問われた。私と仲がいいかどうか、関係ないでしょう」

 しかしこの解弧がすぐに亡くなってしまったため、改めて後継者を聞かれ、

「午がいいでしょう」

「午(祁午)はあなたの息子です。親心ですか?」

「あなたは、後継者にふさわしい人物は誰かと問われた。私の息子であることなど、関係ないでしょう」

 

④困ったときに、何を『しなかった』か。

 ①とも少し関わるが、いかがわしい連中と一緒に悪さをしていないか。暴力を振舞っりしていないか。刃物を持って街中を歩き回ったりしなかったか。逆に、今は耐えるときだと思って勉学に励んだか。ひそかに体力トレーニングに励んで、いざという時にために備えたか。

 

⑤貧しいときに、何を『取らなかった』か。

  親の財布から金を盗んだり、バイトや仕事先などで物を盗んだりしなかったか。あるいは、人を襲って荷物を奪ったことはないか。逆に、公園の水で喉を潤し、あるいは残飯を漁ってでも飢えを耐えしのぐ生活をしながらも「どれだけ貧しくても、犯罪だけはしないぞ」と心に誓ったか。

 陸機の『猛虎行』に「渇しても盗泉の水を飲まず」という言葉が出てくる。これは孔子が流浪していた時、喉が渇いてふらふらと歩いていたところ、泉を見つけた。これ幸いと水を口にしようとしたところ、この泉が「盗泉」と名付けられていることを知って、拒絶したという話による。『盗』という字を嫌ったためだ。喉が渇いているという生理的欲求よりも、人倫にもとる「盗む」ことを嫌った理知的欲求が勝ったという話である。尤も、地元(中国山東省泗水県)の話によれば、盗泉の『盗』は悪い意味ではなく、たとえ盗賊であっても困った人には水を与えますよという慈愛の意味を込めて名付けられたともされるが、孔子には黙っておこう。

 

 李克の話はあくまで次期宰相についての話ではあるが、人の急所を突いている。

 つまり、貧乏や困窮の時期に悪いことをせず、金持ちになっても傲慢に振舞ったり好き勝手をしなかった人物を推している。

 少正卯の場合は、悪いことをしても改めず、好き勝手をして、一方で善人のように振舞っているという点で、李克の指摘とは違う部分はある。しかし、「この人は本当に正しい人だろうか。本当に善人なのだろうか」と見定め、「もしかしたら偽善者なのでは」と見抜く指標に使うのに適している。

 

 あの人は善人だ。あの人は悪人だ。

 あの人は善人を装っているが、偽善者だ。あの人は悪ぶってるけど、実は良い人なのではないか。

 人物評はとても難しいものだが、これらを元にして、一方的に決めつけるのではなく、真贋を確かめることで本性を窺い、真に頼るべき人には頼り、距離を置くべき人とは離れる。どんな罪人も許すことが出来るような宗教人ならともかく、我々のような凡人は自分が生きやすいように生きる術を知っておくのは悪いことではないだろう。

 

 

 

 

論語 (ちくま文庫)

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