いろいろなことに興味があり過ぎる問題点について

いろいろなことを興味の赴くままに

趣味と課金のこと

  『課金』とは文字通り、料金を課すことだが、昨今ではデジタルデータやネットサービスが提供される際に支払われる対価のことを指すことが多い。

 アナログなもの。たとえば書籍やぬいぐるみ、スポーツ用品などの場合には、あまり用いられなくなったようだ。

 オンラインあるいはスマホゲームへの、過剰な課金のために事件を起こして問題になったこともある。

 課金する金銭を捻出するために、親の財布から金銭を抜き取ったり、親のカードを勝手に使ったり、あるいは職場で会計の立場であることを利用して会社の費用として違法に計上していたという事例もある。

 音楽配信サイトに月額課金することで、アナログ的なCDやDVDを購入するよりも安い値段で、しかも確実に入手できるサービスは、デジタル課金の好例かも知れない。

 お気に入りの歌手の新しいアルバムが発売されたというのでショップに出かけたものの、その店では扱っておらず、何件もの店を歩き回った経験がある人もいると思う。デジタルであれば、家にいながら、確実に入手できる強みがある。提供側としても、過剰生産による生産リスク、過少生産による利益獲得の機会損失なども、防止しやすいだろう。

 実際、ハードウェア(DVDなど)は事前に予約のあった分だけを生産して予約者に配送し、残りはオンラインでのソフトウェア(データ)提供で対処している企業もある。前者には特別映像やサービスの充実などの特典を与えることで差異を設け、熱狂的なファンの獲得、及び確実な資金回収を目論む戦略もある。

 

 ちょっと堅苦しいなあ。もう少し、肩の力を抜こうか。

 

 オンラインのゲームがある。スマホのゲームでもいいし、DLC(ダウンロードコンテツ)を装備しているようなゲームも当てはまるだろう。

 夏になると、水着を実装するゲームは多い。

 これは、ゲーム内のキャラクター(以降、キャラと略す)が水着を着てくれるというスキン(外観表示)である。当初は女性キャラばかりにこれが実装されていたが、近頃は男女差別なく、水着に着替えてくれる。見た目の暑苦しいキャラが、水着になってくれると、暑苦しさも紛れるというものだ。

 季節によって、和装やハロウィン、サンタクロースをイメージした衣装をまとってくれることもある。

 ここで課金の『罠』が発生する。

 この水着スキンを手に入れるには、クエスト(目標達成のための探索)が必要となる場合がある。その際、容易に入手したければ課金するのが効率が良いと訴える。あるいは直接に、水着スキンが欲しければ課金してくださいという。

 見目麗しい水着スキンが欲しい人は、課金するのである。

 あるいは水着だけでなく、高レア(貴重品)アイテムを入手するために、課金する人が出てくる。

 ここで、冒頭で述べた、課金するために悪いことをする人たちに繋がっていくのだが、ちょっと待って欲しい。

 私はTVはほとんど見ておらず、ネット上での情報なのでどこまで本当なのか分からないのだが、ゲーム課金者の誰れもが犯罪を犯してまで金を工面しているとか、引きこもりやオタク層などが熱狂的に課金しているという報道もあったらしい。

 とんでもない、差別意識である。

 私もいろいろなゲームをプレイし、課金もそれなりにしてきたが、だいたい計画的である。7月に水着スキンが来るならばと、6月のうちに買うべきものは買い、課金分はあらかじめ分けておく。好きな酒も控え、買い食いも控え、欲しかった新刊書籍も涙を拭って買い控え、ストレス溜まりまくり状態の一ヵ月を過ごした後、スキンが発売されると同時に買う。

 

 あんたバカァ?

 はい、バカです。だけどもう少し待って欲しい。私のバカさ加減はともかく、それで誰かに迷惑をかけた覚えはないのである。

 そして、ここが今回言いたかったことなのだが、

「デジタルデータへの課金だけ、なぜ槍玉に挙がるのか」

 である。

 これはTwitterでも述べたが、趣味は人それぞれであると同時に、理解できない人にはまったく理解できない話であるが、他人に迷惑が及ばなければ構わないだろう、という結論に持っていきたいのである。

 

「私は将棋が趣味です。TV対局は何十年もの間、数えきれないほど観ています。羽生先生や、藤井先生の対局も、何度も観ています。五十万円の将棋盤を買いました。駒の木材も特に選び抜かれた逸品で、文字を掘ったり書いたりした人も、人間国宝級の方々です」

 こう言われて、

「素晴らしい趣味をお持ちですね」

「その将棋盤や駒も拝見したいものです」

 と思う人は多いのではないだろうか。家計を管理する立場からすれば、無駄なことに金を遣ってと怒るかも知れないが。そこへ、将棋に全く興味のない人が、

「将棋盤とか駒と言っても、ただの木の塊じゃないか」

「木片をパチパチと動かすだけでお金が貰えるなんて、楽な仕事ですね」

 と言ったとしたら、どんな反応が返ってくるだろうか。

「将棋は日本の伝統文化だ」

「一手を動かすのために、様々な思考がある。適当にパチパチと置いてるわけじゃない」

 と反論する人は多いと思う。

 同様に、野球について、

「あんなのは、投手がポイっと球を投げて、それを打者がパコーンと打ってるだけじゃないか。それだけで年収何千万円とか何億とか、玉遊びをしてるだけで金儲けできて羨ましいですねえ」

 と発言する人がいたら、おそらく激昂する人は数えきれないだろう。

「そんなこと言うなら、お前が投げて、打ってみろ。そんな簡単なものじゃない」

「プロになれるのは一握りだ。天才と言われた人ですら、挫折してるんだ。そんな甘い世界じゃない」

「あの人の投げる姿を観たい。あの打者のホームランを観たい。それだけで、高い入場料を払って観に行ってるんだ。それを理解できないような奴にどうこう言われる筋合いはない」

  その通り。

 好きな打者がバッターボックスに立っただけで感激し、たとえ凡打であったとしても、「直接彼を見ることができた、来て良かった」と思うファンは多いのである。

 分からない者に、四の五の言われる筋合いはないのである。

 

 さて、デジタルデータの話に戻ろう。

 これが本題である。

 忘れてないよね。

 水着スキン(だけに関わらず、特にゲーム課金者)への批判者に多いのは、

「たかがデジタルデータに金を投資するなんて、バカげている。手元にしっかりした形で残るわけでもないし。デジタルデータなんて、簡単に壊れる。そのゲームが終ったら、水着もアイテムもすべて無くなってしまうじゃないか。無駄な投資だ」

 というもの。

 全く以って正論です。

 しかし、それであなたに何らかの問題が発生するのでしょうか?

 この形で批判する人がまったく分かってないのは、その趣味を理解していない人にとってはどうでも良いことでも、その趣味に関わってる人は大切なことだということである。そして、それがあなたにどんな迷惑をかけたのかといえば、十中八九、関与していないはずだということである。

 私の先の例で挙げれば、7月スキンのために6月に我慢し、7月スキンを愛でて楽しむという快楽に繋がっているのである。それは、将棋愛好家が同僚と飲みに行くのを何か月も我慢しながら貯蓄してようやく高価な将棋盤を手に入れ、あるいは、野球ファンが昼食をケチってまで入場料のために出費を控えてようやく球場に行ったのと、どこが違うのか。

 違いますか?

 たかがゲームの、普段は肌の露出なんてほとんど見せないようなキャラが、水着で肌を見せるようになるだけ。キャラの絵、あるいはその動きを見るだけで、数千円も払うなんて、冷静にみれば実にバカげたことではある。

 それは分かっている。

 でも、そのための達成感は計り知れない。

 断っておくが、理解して欲しいと言っているのではない。ただ、理解する気もないのに、上から目線で蔑む行為を止めて欲しいだけである。たとえば好きな選手のサイン入りユニフォームに何万円も支払う人のことを、私は理解しがたいが、だからと言ってバカなことに金を遣ってと声に出して蔑むのは、違うのではないだろうか。そう思ったとしても、わざわざ口に出して揶揄する、あるいは批判するほどのことでもなかろう。

「ああ、そういうことに熱を上げる人もいるのね」

 それで、充分。

 楽しみは人それぞれ。